どうして献金するの?

今日は私がどうして摂理で献金するのか書きたいと思います。

 

どこの教会でも礼拝の時、献金の時間があると思います。
「献金」されたお金は、教会の維持運営のために、

教会に必要な備品を購入することなどに使われますが、

献金の聖書的な意味は、すべてのものは神様のものだと天の前に告白し、

生きる糧を与えてくださった神様に感謝を捧げることです。

 

歴代誌上29章12節~16節
「29:12富と誉とはあなたから出ます。あなたは万有をつかさどられます。あなたの手には勢いと力があります。あなたの手はすべてのものを大いならしめ、強くされます。 29:13われわれの神よ、われわれは、いま、あなたに感謝し、あなたの光栄ある名をたたえます。29:14しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。

29:15われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。 29:16われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。

 

「神様が下さった」という考えがないと、ただ自分のお金を取られると思うだけですよね。

神様がいないと思う人たちは献金ができないし、
また献金を利用した悪徳宗教の存在を知っている人は、
その不信感から献金しないという人もいると思います。

 

私は摂理で御言葉を聞いて、救われたことに感謝するので捧げます。
また、自分が得た全てのものは到底自分の力だけで得られたものではなかった、
神様がくださったものだと確信しているから感謝して献金します。
そして、真心で神様に献金した時に、お金がなくなるのではなく、
祝福されて返ってくるということを体験を通して知ったので、献金します。

 

摂理に来てから献金を捧げた人たちが証してくれた話がありますが、それは
「自分が献金したと同じ金額、またはその倍の金額が、思わぬところから臨時収入で入ってくる」
という奇怪な現象。

 

私自身も献金したことで体験した不思議な出来事がありました。
新入社員の時、初めて捧げた献金で、就職させてくださったことに感謝して
自分なりに大きい金額を捧げました。
そのあと、ボーナスの時期になり、
本来なら自分にはなかったはずのボーナスでしたが、寸志としていただけることになり、
その金額が、自分が献金で捧げた金額とぴったり!そっくりそのままでした。
神様が下さったと感じました。

 

また、別の時。
感謝することがあって特別に献金を捧げた、後の日の出来事。
会社の忘年会でくじ引き大会がありました。
賞品は、社長からのプレゼントで、なんと現金!
少し期待してしまいましたが(笑)、
予想通り、当たってしまいました!
1等ではありませんでしたが、なんとその時も、金額を見てびっくり。
「この間捧げた額と同じ!(・∀・;)」

 

社長に感謝のメールを送ると、
社長(※外人)からの返信が来ました。
「Congratulations! You deserve it!」
deserve というのは、
(人、こと、行いなどが)賞罰、助力、注目、感謝など)に値する、ふさわしいという意味です。
直訳すると「それはあなたにふさわしい!」ということ。

 

ちょうどこの頃、毎日会社でお祈りをたくさんしていた時でした。
ダニエルが一日に三回お祈りをしたというのを知って、自分もやってみようと、
神様に感謝したり、会社の為に、社員の為に、罪を悔い改めたり、
良い働きが出来るように願い求めたりしていました。

そのお祈りを神様が受け取ってくださって、

社長を通して祝福を下さり、メールをくださったような気がしました。
誰にも見えないところで行ったことも、すべて神様はご存知なんだなと感じた出来事でした。

 

献金は真心の感謝の気持ちを神様に捧げることで、

自分が祝福を受けることを目的にしてするものではありません。

 

しかし神様は、

自分の大事なモノを神様に捧げよう、教会のために使おう、と思って
持っているものを手放せば手放すほど、
たくさんの祝福を下さることを知るようになりました。

体験した本人にしかわからないことだと思います。
ぜひやってみてください!というのも変な感じですが、^^;

嘘だと思うならやってみてください!真心で!
真心で献金をささげたときに、必ず神様は祝福をして下さると思います。

次回はチョンミョンソク先生と摂理の献金に関して書こうと思います!

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